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お別れ [日常]

母方の祖母が亡くなり、昨日はお葬式でした。

102歳の長寿でした。

一緒に住んでいたわけではないので、会うのはたまにだったんですが
小学校時代は、年に一回祖母が泊りがけで2週間くらい家に遊びに来るのが
とにかく楽しみでした。

なぜなら、祖母は毎回おいしいお饅頭をお土産に持ってきてくれるから…というのと(笑)
とにかく手作業がすごく大好きな人だったので
毎回いろんな作業グッズを持参して遊びに来ていたのです。

ある時はビーズで見たことないようなきれいな花を作り…
絵柄を生地に刺繍して額に入れて飾ってみたり…
細かいパッチワークのバッグを作ったり…
冬場は当然のように毛糸で何か編んでました。

小学生だった私は、そんな作業の一つ一つを
傍に座ってずっと見ているのがとても楽しかったのです。
祖母の手から作品が生み出されるは工程は
子供だった私の目には魔法のように映りました。

編み物や、簡単なお裁縫の殆どは、母ではなくこの祖母から教わりました。
母は実家で洋裁屋をしてるのですが、何しろ仕事でやってるので
とてもゆっくり子供の遊び相手をしている余裕がありません。
やり方をちょっと言って、理解できなければそこで終了(笑)

その点、祖母はゆっくり私の相手をしてくれました。
面倒がらず、丁寧に、何度も。
優しくて…でも時々ブラックジョークが混じりつつの
ユーモアたっぷりのおしゃべりが痛快で楽しい人でした。

そんな祖母も、私が中学生になる頃には若いころの無理が祟って
足が弱くなり、家へ遊びに来るのが難しくなってしまいました。

会う頻度も極端に減っていって、時々会った時には喜んでくれてましたが
次第に年を重ね、最近では私の顔もわからなくなっていました。

亡くなる直前には、なんとか母が駆けつけ
苦しむことなく旅立ったようです。

長生きだったけど、若いころから晩年まで、ずーっと苦労続きだった祖母。

長旅お疲れさまでした、という気持ちと
今までありがとう、という感謝の気持ちで見送りました。

今頃、天国でじーちゃんに会ってるかな?
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コメント 4

dryas

ゆきんこさんのオバアチャマはすばらしいオバアチャマだったのですネ!
ゆきんこさんの作品の中にはキットキットオバアチャマの魂がキラキラ光っているのかもですネ??(^。^)
私の母方の祖母は、私が幼稚園に行く前に旅立ちましたので、葬式に行ったことしか記憶にありません!!!(;_;)
母方の祖父は目が見えない人でしたから、一緒に遊んだ記憶はありません(;_;)が、実家に行くと、帰る間際に必ず100円小遣いをくれましたので、実家に行くのは楽しみでございました!!!!(^。^)
父方の祖母は、私が高校を卒業する迄一緒の家に住みましたが、一緒に何かをやった記憶は全くありません!!!!!(;_;)
父方の祖父は小学校の時旅立ちまして、正月だけお年玉をくれましたが、私と遊んでくれた記憶はありません!!!!!(;_;)が小学生の時ただ一度だけ、「国体の開会式に鼓笛バンドで出るから、テレビ買ってくれ!」と私がダダをこねた時、私を一人古道具屋につれて行ってくれて、中古のテレビを買ってくれて、「いいか、お金ってこうやって節約するのだよ!」と私に貧乏性を叩き込んでくれた一つの記憶だけがあります!!!!!!(^。^)
大往生で、大変お幸せだった様な気が致します!!!!!!!(^。^)
ご冥福をお祈りいたします!!!!!!!!

by dryas (2013-05-30 20:42) 

びくとる

素敵なおばあさまでしたね。
ご冥福をお祈りいたします。
by びくとる (2013-05-31 13:14) 

yucky

dryasさん
ありがとうございます。
私の場合、たぶん一緒に暮らしていなかったかったから
たまに会う時の印象がより強く残ってるのかもしれません?
後は、たまたま祖母と趣味が合ってたのがよかったんでしょうね。

ちなみに祖父は父方母方どちらも私が生まれる前に亡くなっていたので
会ったことはありません。

父方の祖母とは一緒に住んでましたが、こっちの祖母はお裁縫は苦手でした(^_^;)
でも、体を動かす仕事が好きで、畑仕事と草むしりが大好きな人だったので
冬場は退屈らしく「早く草生えねえがなあ…」なんてセリフを言ってたことも(笑)
by yucky (2013-05-31 20:49) 

yucky

びくとるさん
お気遣いありがとうございます(*^。^*)
by yucky (2013-05-31 20:50) 

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